短編小説「秋の空がとても綺麗だ」

 半袖の体操服を着て、シチューの入った皿を眺めている。わたしがこの肌寒くなってきた季節に長袖のセーラー服でもジャージでもなく、半袖の体操服を着ている理由を作った人間たちは、もうわたしに関心をなくしおしゃべりをしている。
「え! まじ!?」
 髪の毛にリボンをつけた女の人間が、笑い混じりの大きい声で叫んだ。
 それでもわたしは彼女のほうを見ることもなく、シチューに目を落としている。
 時々やられるように、シチューに何か異物を入れられたわけでもないのに、今日はなんだかとてもシチューが変に見えて仕方がない。
 家に帰るといつも、インターネットで銃の写真を眺めている。とりわけショットガンが良いと思う。銃弾はひとつでは足りない。
「足りないんだ」
 小さな独り言をもらしてしまった。シチューの皿から視線を上げる。人間を見渡した。ショットガンであいつの頭も、あっちにいるあいつの頭も、あの頭も、みんなぶち抜きたい。
 脳漿が飛び散る光景が浮かんだ。なんて綺麗なんだろう。リボンをつけたあの頭も、リボンも、みんなぐちゃぐちゃだ。
 もう一度シチューを見たとき、それが確かにリボンをつけたあの女の人間の脳みそであるという確信に近い感情が湧いてきて「これは食べられない。気持ち悪い」と思ったら怖くなって思わず飛び上がるように席を立ってしまった。
 わたしのその動作によって、人間達がこちらを見た。
「気持ち悪い。見るな! 脳漿を垂らしながらこっちを見るんじゃない!!」

 その後の記憶は途切れ途切れだ。いま確かなのは、父の運転する車の後部座席に座って、いつも通っている精神科へいつもとは違う早い時間帯に行くということ。
 どうやらわたしは学校を早退させられたらしい。
 ぼんやりとしている。わたしの頭はぼんやりとしているというのに、車の窓から見える空の青は鮮明で目映い。なんでこんなに違うんだろう。わたしの内と外は、どうしてこんなにも離れてしまったんだろうか。

 精神科に着くと、待合室にわたしと同じ学校のセーラー服を着た女の子が座っていた。下向き加減の顔が長い髪に覆われていて見えない。両手で何か小さなものをいじくっている。隣には母親らしき人が座っている。
 受付から名前を呼ばれてふわりと立ち上がった彼女を見たとき「あ!」と思った。話したことはないけど同じクラスの人間だ。
 こういう時に「え! まじ!? ここに通ってるんだ? わたしと一緒じゃん」なんて話しかけることができたら、わたしもまともな10代みたくお友達なんてものができるのかもしれない。
 でもわたしにはそれをする気が起きない。
 気づかれないように下を向こうとしたその時、受付を終えた母親と一緒に彼女がくるりと振り返った。
 そして思いがけないことに、わたしに向かって彼女は口角を少し上げて微笑みかけた。
 母親のほうは先に行ってしまったが、ゆったりとした調子で歩いてきた彼女は、椅子に座ったわたしの前で立ち止まり「これ」と言って、何かをわたしに差し出した。
 反射的に受け取ったそれを見ると、キラキラと光るカードだった。
 彼女が言った。 
「それ、あそこの。学校の近くの文房具屋ぺんてるで買ってもらったんだ。ここに来る途中。でもあげる」
 彼女からキラキラしたカードを受け取るときに、指と指がかすかに触れ合った。わたしではない人間の体がわたしに触れることは、気持ち悪いと思っていた。だけどその時は嫌だと思わなかった。

 翌日はまだ調子が悪くて学校を休んだ。翌々日の朝学校へ行って教室に入ってすぐ、彼女を捜した。彼女の顔と名前は認識していたけど席までは覚えていなかったから、何度も教室を見渡した。
 そんなわたしの後ろから、一昨日指が触れ合った時のようなそっとした調子で肩を叩く人間がいた。
 振り返ると彼女だった。
「休み時間に」
 
 彼女が指定した通りの、校舎裏に行く。
 彼女は先に来ていて、制服のスカートが汚れるのもはばからず直接地面に座っていた。耳にはイヤホンを着けていて何かの曲に聴き入っているようだ。
 わたしはクリーニングされたばかりの制服を着ていたけど、彼女の隣に座った。制服のスカート越しに砂利の感触がわかる。
 わたしが隣に座ったことに気づいた彼女はイヤホンを片方外して、わたしの耳の中にそれを入れた。わたしはきちんとはまるようにイヤホンを入れ直し、彼女に向かって笑った。
「わたしがいつも聴いている変な曲。変で、わたしを淡々とでも、生かしてくれている曲。が……ここにはたくさんある」
 彼女が「淡々と」という単語を使った時、きっと彼女は、わたしよりも前から何かを諦めて日々をやり過ごすようにして生きてきたんじゃないかという気がした。
 イヤホンから流れたその曲は、彼女の言う通り変だった。iTuneに入れた曲でも聴いているのかと思ったら、彼女はYou Tubeで動画を観ながら聴いていたようで、わたしが曲を聴いているのを邪魔しないよう無言でそっとiPhoneの画面を見せた。
 目をむき出して歌う男の人の姿に驚いて、きっとこういう時にも「え! まじ!?」と、自分が驚いた分よりも大げさに言うべきなのかと思ったけど彼女に対してはその必要がないように感じられた。
 わたしは片耳にイヤホンを着けたまま、思った通りに言った。
「この人、目をむき出して歌うんだね。怖い。それに曲も良いんだか悪いんだかよくわからないや」
 言った後に、思った通り言い過ぎて彼女の気分を害したのではないかと不安になって、彼女の顔を見た。
「初めはピンと来なくても、好きになるかもしれないから何度か聴いてくれないかな。この人の曲、ネットにたくさんあるから。わたしはCDも持ってるけど、はまる前はネットでいいと思うよ」
 そう話す彼女の目が真剣だったので、わたしは彼女の言う通り何度か聴いてみようと思った。
 数日して、わたしは女の人間や男の人間としか認識できなくなっていたクラスメート達がそれぞれ個別認識できて、周囲に少し関心が持てるようになっていた。
 とはいっても、誰が今日は欠席なのか気にかけるようになったくらいの変化だけれど。

 そうなってから皮肉にも、彼女はずっと学校に出て来なくなった。わたしは彼女の出欠を気にかけた。
 1度しか彼女と過ごせなかった休み時間を、彼女の教えてくれた曲を聴いて過ごした。家でもiPhoneやパソコンで、彼女の教えてくれた人のPVをたくさん観て、聴いた。
 歌っている動画だけじゃなくて、しゃべっているのもあった。
 最初の印象通り、その男性はやっぱり変な人だった。わたしはわたしのことをおかしな人間だと思っていたけど、それ以上におかしな人がいるのなら、この世界も悪くないかな、という気持ちになっていた。
 そのことを彼女に伝えなくちゃ。
「まじ!? かっこいいじゃん」って、本心から伝えなくちゃ。

 でも彼女には、もう会うことができなくなった。
 わたしは今、今……彼女の席だった机の上に置かれた、誰かが机の角にぶつかれば倒れてしまいそうな細い透明の花瓶とその向こうに見える、秋の空を見ている。
 秋の空がとても綺麗だ。
 わたしの感覚は、今までと違ってはっきりとしている。


 了

*この小説は、神聖かまってちゃんというバンドの『友達なんていらない死ね』という曲にインスパイアされて書いたものです。
『友達なんていらない死ね』は、You Tubeで検索すれば聴けるはずです。聴いてみて頂けると、神聖かまってちゃんファンのわたしとしてはとても嬉しく思います。