小学校の掃除の仕方は罰だと思っていた

 

話すよりも書いたほうが私の言葉は伝わりやすい。

 

そう思うようになったきっかけが小学6年生の1学期に書いた班日記だった。

席順で決められた4人1組の班で1冊のノートを共有し、4日にいっぺん班日記を書く順番が回ってくる。5年生になって担任が変わったタイミングで始まった班日記であったが、あるときが来るまで他の生徒に倣って「今日は放課後、鉄棒で遊びました」といった当たり障りのないことでノートの1ページを埋め提出していた。

 

ところがある日、ずっと不満に思っていた思いをノート4ページに渡って書いた。

 

私の書いた文は帰りの会の時に「誰が書いたかは言いませんが」という前置きの後、担任がクラスメイト全員の前で全文読み上げた。そして「こうしたノートを書いてきた生徒がいますが同じように『罰だ』と思っている人がいたら手を挙げなさい」と言った担任の言葉に手を挙げる者は1人もいなかった。

 

私が書いたのは、担任の決めた掃除のルールに対する疑問と不満についてだった。

掃除の時間に身に着ける三角巾を家に忘れてきた場合には、掃除の時間には掃除をせずにいなさい、そして放課後、掃除の時間に三角巾を付けた生徒達が掃除した教室を三角巾を忘れた人達だけでもう1度掃除しなさい、という掃除のルールがあった。クラスの中で1日に3〜5人が三角巾を忘れてきていた。

 

誰が訊いたわけでもないのに担任は「これは罰ではありません」としょっちゅう口にしていた。

 

私が班日記に書いた内容を要約すると以下の内容だ。

「実際のところ、三角巾を忘れた生徒も掃除の時間に何もしないのは気が引けて掃除をしています。その上さらに放課後にまた掃除をしています。それを先生は見ているはずです。三角巾をせずに掃除をすることが良くないと言うなら、なぜ1日に2度も三角巾なしで掃除をさせるのですか。先生が私達にさせていることは、先生が違うと言っている『罰だ』と思います」

 

大人が子どもに自分の行いの矛盾を指摘されれば腹が立っても自然なことだ。大人になったのでその時の担任の気持ちが少しは想像できる。

けれど小学6年生だったその時の私は、おかしいと思ったことをおかしいと伝えずにはいられなかった。

 

挙手することで擁護してくれた人はクラスに1人もいなかったが、私自身は、班日記を皆の前で読み上げられたことや、誰も手を挙げてくれなかったこと、担任がこれまでとは掃除の規則を変えようとは思ってくれなかったこと、それら全部の悔しさよりも、一応は大人に言葉が通じたという喜びのほうが大きかった。

 

担任が他の先生だった低学年の頃から「塾でもう習いました」などと余計なことを言って波風を立てる生徒というのはいた。そういった生徒を自分よりも幼いと感じ見ていた私は、6年生になって書き言葉によって、幼さをクラス全員の前で暴かれてしまったわけだけど、恥ずかしさよりも、私にも思っていることを伝える「手段」があったのだと気づいた快感のほうが強かった。

 

掃除のルールは変わらないまま小学校卒業の日が近づき、卒業前に行われる三者面談の折り、2人きりで向き合ったとき担任は「いつも話さないあなたが思っていることを書いてきたあの出来事はあなたのこれからにとって良いことだと思っています」と言った。

大人に歯向かってきた子どもに憤慨させられても尚、誰にも何も伝えようとしないで教室にいた私の今後の中学生活や大人になってからを気にかけ、譲歩した言葉を言ってくれた。

 

ルール自体に関しては、大人になった今の私が思い起こしても矛盾があったと考える。

また、私の書いた当時の文は、大人にしっかりと伝わるほどの筆力はなく、不満を伝えながらも不満を伝えた相手に話の概要を汲み取ってもらっていたという甘えのある文であっただろう。

 

中学生になり、高校生になり、と大人に近づいていった私は話すことがいっこうに上達せず、高校3年生から20歳の頃は新聞の投書欄に投書することを趣味としていた。

 

その後もたくさん文章を書いてきた。

話し言葉ではあまり本音を話さずに生きてきた。

 

話し言葉と書き言葉、どちらかひとつでも他人に考えていることを伝える手段を持てたということを、伝達手段は何もないと小学6年生まで諦めていた私は幸いだと感じている。

 

どちらも持てなかったら私の人生はもっと辛い人生であっただろうから。