脳がパーのまま日記再開

自転車で西友に向かう途中、井戸公園の前を通りかかった。
その名の通り、井戸のある公園である。


12歳くらいの少年少女たちが井戸を囲み、水遊びをしていた。
彼らは、ジャンパーとかコートを着たまま、豪快に水をかけ合っていた。
わたしは、それを見て、美しいと思った。
彼らの勇気に、感動した。


といっても、真冬に水を浴びる勇気について言っているわけではない。


彼らの勇気……


すなわち、役所に電話をかけ、「すいません、井戸の水が出ないんですけど……。なんとかなりません?」と役人に訴える勇気のことだ。


実際、彼らの水遊びが、そういった手順を踏んだ末のものかどうかはわからない。


ただ、井戸の水が出ないのを知りつつ役所に電話しなかった大人が存在することだけは確かだ。


それは誰か?


わたしだ。
それに、一緒に暮らしている天才だ。


わたしと天才は、よく井戸の水で遊んだ。
豪快に水をかけ合ったりはしなかったけど、代わりばんこにポンプを押しては、水を出して遊んだ。


「すげぇ、井戸だ」
「ほんとだ井戸だ」
「ちゃんと水が出るぞ」
「わーい、水が出るー。井戸から水が出るー」
と、井戸から水を出すという、ごくごくシンプルな遊びを楽しんだ。


ところが、数カ月前から、その井戸から、水が出なくなった。
ポンプを押しても、水が汲み上がる感触は得られなくなった。


水が出なくなってからも、わたしたちは井戸公園によく行った。


「おっかしいな、やっぱり出ねぇ」
「きっと枯れちゃったんだよ」
「いや、枯れてはないと思うんだけど」
「じゃあ、壊れたのかな」
「きっと壊れたんだよ。役所に電話して、修理してもらおうかな」
「なんて言うの?」
「『井戸の水出ねぇ。修理しろ』」
「言える?」
「俺は言えない。お前言える?」
「わたしも言えない」


そうして、わたしたちは、井戸に対して全く無力だった。
そんな駄目な大人をよそに、少年少女たちは、再び水の出る井戸を、自らの手で勝ち取ったのだ。


あぁ、なんて素晴らしいんだ。


西友で買い物をした帰り道、再び井戸公園の前を通りかかると、そこにはもう、少年少女たちの姿はなかった。
井戸の横に、彼らが水遊びに使っていたバケツがひとつ、転がっているだけだった。


井戸に関して何もできなかったぶん、バケツに関して、大人としての振る舞いを見せようと思った。


大人としての振る舞い……


西友で雑巾とかハタキとか、掃除用具を買ったばかりなので、ここはひとつ、バケツを家に持ち帰り、窓拭きをして、大人としての面子を保つことにしよう。


いや、しかし、井戸の水が出るようになったことを天才に知らせ、2人でそのバケツを使って水遊びをするというのもいいな、と思い直した。


わたしは勇気がない上に、優柔不断……


その前に、バケツをパクることばかり考えている。


大人失格だ。




(画像は、全く関係のない井戸公園です。似ている井戸なので、「こんな感じの井戸です」ってことで、載せてみました)