わたしが足を切られたくない理由

天才が、わたしの足を切ると言った。
わたしは切らないでと何度もお願いした。
それでもやっぱり天才は、わたしの足を切ると言う。
仕方がないので、100円ショップで原稿用紙を買い、そこに、どれだけ足を切られたくないかを綴ることにした。
たぶん20枚くらいかかるだろう。
タイトルは「わたしが足を切られたくない理由」。


天才がそれを読むときは、わたしが土砂の下敷きになって意識不明のときだ。
足を切断すれば命は助かるだろうが、切断しないでこのまま救助に時間を食った場合、命の保証はない、そんなときには、天才は急いで家に戻って、わたしの書いた「わたしが足を切られたくない理由」を読むべきなのだ。
見つけやすいように、封筒に入れて、ちゃんと封筒の表にも同じタイトルを書いておく。
赤字で書いておけば完璧だ。


「赤字だからね。見つけやすいよ。場所は引き出しの上から2段目ね。わかった?」
天才にそう言ってみたけれど、「読んでもたぶん切ってもらうよ」という、そっけない言葉が返ってきた。


でも大丈夫だ。
希望はまだある。


天才が納得しないのは、まだわたしの書いた文章を読んでいないからだ。
そしてわたしが天才を説得する自信がないのも、わたしがまだそれを書いていないからだ。


それでも正直自信がない。
頑固な天才を説得するだけの文章を書ける自信が。


16歳くらいの頃、「わたしの土葬について」と書いた封筒を机の中に入れていたことがある。
焼かれたくなかったのだ。
明日もし、ころりと逝った場合、家族はなんの迷いもなくわたしを焼くだろう。
そう考えたら、これはちゃんと書いておかねばと思った。
ただ、封筒の中に入れたのは、便せんたった1枚だけだった。
それも、ほんの数行しか文字の書いていない便せん。


「お母さん、わたしが死んだらどこか田舎のほうで土葬でもいいよっていうところに埋めてください。家の庭は嫌です」


単純な性格の母なら、こんなもんで大丈夫だろうという、あまりにも自分の親を見くびった文章だった。


しかし、天才は母と違って手強い。
簡単に自分の意見を曲げたりしない。
いくらわたしが、「わたしには足を無くして生きていく自信がない。もしそうなったら、もともと荒んだ精神がさらに荒んで、天才にさえ手が付けられなくなるだろう。だから1%でも足を切らないで生きられる可能性があるなら、そっちを選択して欲しい」と、真剣味が伝わるように表情まで工夫して説明しても、納得しないような人間だ。


だからわたしは、これから上手な文章の書き方を教えてくれる本を買いに、ジュンク堂に行こうと思う。
20冊も読めば、可能性はなくもないだろう。


そして自信がついたら、ここまで書いたこの文章も、書き直そうと思う。
誰もが、「森にえさんの足は切るべきじゃないよね」と口々に言うような文章に。


そして、その素晴らしい文章の最後は、こう締めくくるのだ。


「ということで、わたしの足を切断すべきではないということがわかって頂けたと思う。でも天才が土砂に挟まれたときは、ちゃんと切ってもらうから安心してね」