中間地点


わたしの住んでいる街は観光地でも繁華街でもない。
駅前でさえなく住宅街だから、家から一歩出れば、ベビーカーを引いた人や、小さな子の手を引く人たちとたくさんすれ違う。
離婚が決まってから、彼女たちを見ると、ちょっと悲しくなる。
わたしはもうすぐ29歳になる。
完全に失われたわけではないかもしれないけど、保留になってしまった未来のわたしの姿を見ているようだ。
すぐに新しい恋をして、再婚して、子どもを産んで、という慌ただしい気持ちの切り替えはわたしにはできそうにない。
小さなヘルメットを被せた子どもを自転車の前と後ろに乗せ、スーパーマーケットから家へと帰っていく、わたしより少し年上の女性を見かけると『とりあえず、産めたとしても1人かなぁ』などと思う。


悲しいのは嫌だ。
悲しい現実はあまり見たくない。


だから今日は、巣鴨に行くことにした。
巣鴨には1度も行ったことがないけれど、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれているからには、おばあさんばかりがいるのだろう。
おばあさんの中にさりげなく紛れていたい気分だった。


ところが、駅に着いた途端、ホームには女子高生が大量にいて、女子高生と、その他20代30代40代、いろんな年代の人たちが、わたしが乗ってきて降りた電車に乗り込んだ。
エスカレーター横の壁には、これでもかというほど、痴漢をやめようという張り紙がしてあった。
「必ず誰か見ている」らしい。


駅から出てしまえば、わたしの想像通りの巣鴨……おばあさんばかりがゆったりと歩いている小さな商店街があるのだろうと思って出てみた。
出たらすぐ、大通りだった。
車がびゅんびゅん通っている。
高いビルがある。
あたりを見回せば、マックに富士そばほのぼのレイク
おばあちゃんの原宿」とはとても思えない都会ぶりだった。
大通りに面した商店街を歩いていると、やっぱり、コージーコーナーやサンマルクカフェ、100円ショップシルクなど、見知ったチェーン店のお店ばかりが並んでいた。
わたしの知っているチェーン店のお店は全部ここに揃っているんじゃないかと思った。
もっと歩いて行くと、ピンサロ(優良店・3000円らしい)があった。
「回転シマス」と書いてあったから、『回転するのか』と思いつつ通り過ぎ、裏側からピンサロの入ったビルを見上げると、「腰痛救急院」という大きな看板が見えた。
『おじいちゃん……?』


住宅街にいることに一時的に疲れているとはいえ、繁華街はもともと苦手だ。
巣鴨に絶望しかけた頃、やっと『地蔵通り商店街』と書かれたアーケードを見つけた。
日が暮れてきたせいか、おばあさんは思ったより少なくて、駅のホームと同じようにいろんな年代の人がちらほら歩いていた。
それでも地蔵通り商店街は、そこそこ、わたしを受け入れてくれた。


「アイスキャンディー」の垂れ幕を見て、『そこは「アイスキャンデー」と書くべきだよ』とがっかりした数軒先の店には、しっかり「アイスキャンデー」と書かれていた。
テレビで見たとおり、赤い下着を売る店が何軒もあった。
ワコールの赤いブラが980円だった。
無メーカーの赤地に黒レースのブラも売っていたけど、とうていおばあさんが買うとは思えなかった。


眞性寺というお寺では巨大な地蔵と、地面にしゃがみ、2kgくらいの味噌のみが入ったビニール袋に口を付け、味噌を食べる老人を見た。
髪と髭が伸びきっていた。


地蔵通り商店街をさんざん歩き回って疲れたあと、休む場所を探していたら「亜沙美亭」という喫茶店を見つけた。
その喫茶店の前で、5分くらい躊躇した。


随分前に「あさみ」という名前の女性に「一生呪い続けます」と書かれた。
どんな漢字を書くのか、名字はなんなのか、本名なのかさえ知らなかったけど、彼女にとってわたしは「友だち」だったらしい。
1度会っただけなのに、いつのまにかそういうことになっていた。
そして「友だちに裏切られた」彼女は傷付いたようだ。


わたしはただ、彼女の「あさみ」という名前を記号として恐れた。
いまだに同じ名前を見るたび、全然別の人だとわかっていても動悸がする。


わたしにとって、街も同じだ。
ずっとずっと前に働いていた職場のある街、知らないおじさんに罵倒された街、好きな人が風俗へ行った街、それから、わたしの知らない女性と会った街。


いつの間にか、どんどん怖いものが増えていった。


勇気を出して、「亜沙美亭」に入った。
「これは嫌いだから」「この場所は怖いから」と、完全に避けてしまうのは止めたいと思った。
「亜沙美亭」の、亜沙美さんなのか、そうじゃないのかわからない女性店員さんは優しかった。
会計をするとき「4の付く日には、出店も出てもっと賑わうんですよ」と教えてくれた。


店内には客がわたししかいなくて、帰るとき、彼女はドアまで開けてくれた。
「また来ます」とわたしは言った。


特に用がない限り、もう巣鴨には行かないと思う。
だけどそれは、わたしが巣鴨を嫌いになったからじゃない。
帰り道、眞性寺ではまだ、おじいさんが味噌を食べていた。