もう守らなくていいんだよ、ヤモリ

ドライアイ治療のため、おととい「ドライアイ外来」のある眼科で「涙点」に涙点プラグを入れてもらった。
プラスチック。


涙の通り道である涙点をプラスチックで埋めることによって、涙は排泄されず目に留まる、そんな治療法。
コンタクトレンズと違って、自分で入れたり外したりはできない。
プラスチックが埋め込まれたまんま。
ちょっとサイボーグっぽい。
サイボーグっぽくて怖いから、重度のドライアイだというのに、この治療法があるということは知っても知らないふりをしてきた。
目薬を大量に処方してくれるだけの、別の眼科に通い続けてきた。


家に帰ってきて。


わたしの感想。
「黒目って、触ると痛いっていうかなんていうか、『あッ……』って黒目が嫌がるんだね」
長年その感覚を忘れていた。
黒目も白目もいつも乾いているから……乾いていると……白目だけじゃなく黒目も指で触れちゃう。
睫毛が入っていても痛くない。
鏡を見たら睫毛が片目に2本入ってた、なんてこともあった。
乾いてる鬱陶しさのほうが強くて、そのへん、感覚が鈍くなっていた。


夫の感想。
「くっきり二重だ! 整形した?」
……してない。
わたしはもともと二重です。
と思ったけど、ドライアイになってからの4、5年というのは、夫と過ごした時間とほぼ重なっている。
ドライアイがひどいと、目だけじゃなく瞼の内側の粘膜も充血し、瞼が腫れる。
そのせいで、かすかに奥二重っぽくなっていたのが、元に戻った。


ところでさっき、iPodで「赤ちょうちん」を聴きながら自転車で家に帰ってきたら、玄関ポーチの壁にヤモリが張り付いていた。
ドアを挟んで、ポーチの右側が夫の自転車を止める場所、左側がわたしの場所、と定位置は決まっている。
一昨日、ドライアイ外来から帰ってきたときも、わたしが自転車を停める側にヤモリはいた。
今日もわたしの側にヤモリがいる。
ヤモリを見上げながら自転車を止めようとしたら、低い位置にスススッと降りてきた。
自転車のタイヤを当ててしまったら大変、と、スタンドで固定するのも忘れ、右に左にハンドルを動かしていたら、自転車ごとポーチの中でコケた。
わたしは自転車の下敷きになった。


ヤモリはいなくなっていた。


一昨日も、いなくなったと思ったのに、今日また戻ってきた。


わたしが不動産屋で物件を探していた昨日は、ヤモリは夫が自転車を止めている側に張り付いていたのかもしれない、と思った。


『でも、もう守らなくてもいいんだよ、ヤモリ』
自転車の下敷きになりながら、泣いた。
涙点プラグとは関係なしに、目が潤う日が多い。

生きてることは ただそれだけで
悲しいことだと 知りました
(「赤ちょうちん」より)