その場限りだけど約束

「心が洗われるような思いだ」と思うために、目黒にあるサレジオ教会に行った。
こぶとりじいさんに出てくる、さらにこぶをを付けられたじいさんみたいな考えで家を出た。


電車に乗った。
バスに乗った。


見学自由のサレジオ教会には、ひとりだけ、ずっと席に座っている女性がいた。
たぶん彼女の心は洗われたと思う。
てきとうだけど……
だったらいいな、と思った。


横しまな考えで教会に赴いたわたしは、ありがたいことに、さらにこぶを付けられるということはなかった。
教会の中を見渡しながら、この際、洗われなくてもいいや〜、と思った。


サレジオ教会……
申し訳ないけど、おもしろいんだ。
敬虔な気持ちになるどころか、笑ってしまうんだ。


「こんなわたしでごめんなさい」と何度も思ったさ。
でも、仕方ない。
おもしろいものはおもしろい。

美しい。確かに美しい。
後ろ姿しか見てない彼女も、佇まいが美しかった。

帰りのバス停には迷わずたどり着けるだろうかという考えが、頭に浮かんだ。

わたしは、この赤いゴム製のものを踏んでもいいのですか?


子どもの頃、母に連れて行かれた、生き神様が教祖の新興宗教では、赤い絨毯は神様の通り道ということになっていた。
赤い絨毯を踏んだ幼稚園生のわたしを、おばさんたちがものすごい剣幕で糾弾した。

踏んでも良さそうだけど、どう見ても踏むためにあるように見えるんだけど、結局踏まずに膝頭を見つめた。

ステンドグラスの一部。昔テレビで見た「ハクション大魔王」を思い出した。
だからブラウン管テレビをイメージして写真を撮った。

このマリアさまは、美しいというより、むしろかわいらしく見えた。
守ってあげたい。
マリアさまなのに。
わたしが1番長く見ていたのはマリアさまだった。


帰りに、喫茶店に寄った。
お母さんくらいの年代の女性がひとりでやっている喫茶店にふらりと入るのが好きだ。
今回も、たまたまそういうところを見つけたから入った。
客はわたしひとりで、「飲み物?」と気さくに聞かれ、「はい」と答えた。
メニューは出てこない。
壁に貼られた手書きのメニューを見て、アイスココアを頼んだ。
「甘いのとあんまり甘くないの、どっちが好き?」という質問に『すごい! 選べるんだ』と思って、「あまり甘くないの……で、お願いします」と言って、トイレに入って戻ってきたら、テーブルの上にアイスココアとガムシロップが乗っていた。
「それで甘さ、調節してね」と言われたので、うまいこと自分好みに調節してみた。
アイスココアの隣には、ピーナッツの入ったガラスのお皿が置いてあった。
ガラスのお皿は黒く汚れていて、実はわたしは、本気でそういう、てきとうな喫茶店が好きなのだ。


アイスココアを飲みながら、ピーナッツを食べながら、店主の女性とポチポチ会話をした。
教会を見に来て、さっきすでに見たと話した。
なんでわざわざ、とは聞かれなかった。
近くにお寺もあると教わった。
桜の頃には、大通りにたくさん桜が咲いてきれいだということも教わった。
「まぁ、桜なんてどこにでも咲くけどね」と笑っていた。


途中、常連らしき男の人が入ってきた。
店主は、常連さんにもわたしにも、それぞれ、たくさんは話しかけないけど、ほどよく話を振る。


ピーナッツを食べ終わった頃、スポンジケージをウエハースで挟んだケーキが出てきた。
6個入りとかでスーパーで売ってそうな、ケーキというよりお菓子だった。
「おいしいよ」
と言っておまけで出してくれたのは嬉しかったけど、フォークは出てこなかった。
『そうか、手づかみで食べればいいのか』と、手づかみで食べた。
他所の家のお母さんに、優しくされているような気分になった。


お菓子を食べ終え、残りのアイスココアを飲み干して席を立つと、「もう帰るの?」と聞かれた。
答える間もなく「もうこんな時間だもんね」と、店主は古い壁時計を指差した。
6時前だった。


本当に、子どもに返ったような気がした。
「居心地がよかったです。またこっちに来ることがあったら寄ります」とわたしは言った。
店主の女性は「ありがとう」と言ったあと、笑顔で「さようなら。気をつけて」と言った。


わたしが、もう来ないことは、彼女には伝わっているんじゃないかと思った。


サレジオ教会は、わたしには心が洗われるようで何度も通いたいと思える場所じゃなかったし、1度でおもしろさを充分堪能してしまった。
確かに、電車に乗ってまで、また行くことはたぶんない。


だけどわたしは「さようなら」とは言わなかった。
わたしの勝手な憶測で、彼女の口にした言葉は「バイバイ」みたいな軽い「さようなら」なのかもしれない。
だけどわたしまでその言葉を口にすれば、本当に、二度と会わないと、その場で決まってしまいそうで寂しかった。


「桜の頃に、また来ます」
と言って、喫茶店を出た。