『ザ・インタビューズ』サービス終了にともなって

『ザ・インタビューズ』というウェブサービスがなくなってしまうらしいので
こちらへいくつか文章を移すことにしました。
インタビューという形式を意識して、ですます調の他人に語りかけるような文体になっています。
回答ごとに写真を添えるのも『ザ・インタビューズ』の特色でした。

質問「おじ​いちゃんとの思い出を​語ってください。」

回答

父方の祖父はわたしが生まれる前に自殺しているんですけど、だから家族の中では祖父は幽霊か魔物か、みたいな語られ方をしていました。魔物というのは例えで、父が、今思えば心気症かうつ病か、その両方かを患っていたときに「俺は癌だ。もう長くない。いっそ自分でケリを」みたいなことを言うのに対し母は「お義父さんの二の舞かよ」と怒鳴りつけていて、10歳くらいのわたしは、よくわからないけどおじいちゃんというのは、なってはいけない反面教師なんだ、と感じていました。

会話の流れからそこまであからさまに、祖父の最期が自殺だったことは語られつつも、「結局のところおじいちゃんって、自殺したの」と母に訊ねて、そうだという答えが返ってきたのは、高校生くらいになって、やっとでした。わかっているくせにしつこく確かめたがるわたしに根負けしたのだと思います。そのときに話してくれて、「あぁ、なんだ」と思ったのが、自殺といっても70代で腸の病気を患い、手術をすれば生きられる可能性は高かったらしいのですが、人工肛門で生きることより首を吊ることを選んだそうなんです。

ほとんど病死に近いけど、「病死」なのか「ほとんど病死」なのか、ということは知っておきたかったので聞けてよかったと思います。

その後、少しだけ父や母に祖父のことを訊きやすくなりましたが、やっぱり訊くと父も母も身構えるのが伝わってきました。父方の祖母の話や、母方の祖父母の話を訊かせてくれるときとはまったく違いました。

わたしはなんで血の繋がりのある人間への興味が子どもの頃から強いのだろうという部分は、自分でもわかっていないので置いておいて、語られないからこそ、祖父への興味は強くなり、20歳を過ぎたくらいから、もはや憧れの存在のようになっていました。
その憧れの存在である祖父が極端に無口な人であったことと、親族経営の昆布屋で経営者ではなく雇われて働いていたことも聞いていたので、その点がすごく気がかりでした。人と関わるのが苦手な人物像を描いていたので、毎日昆布を売る生活は辛かったろうにと。それと自殺とは、自殺したのが定年後だったから関係ないだろうとは思っていましたが、単純に、血の繋がっている人間が、生きている間に充実した人生を送っていたとしたら自分のことのように嬉しいという感情から、気になるところではありました。

ほんの最近になって、父と母の住む実家に帰省した際、「おじいちゃん、無口な人だったって聞いてたけど、昆布屋で働くのは辛くなかったのかな」と、父に率直に尋ねました。今までは、話しやすい母からばかり祖父のことを聞き出そうとしていましたが、初めて、祖父の息子である父に、『わたしは祖父のことが本当に知りたいんです』という気持ちをぶつけました。
そうすると父は、話してくれるは話してくれるは。昆布を削る工程や、塩をまぶすときの塩加減の調整にはいかに職人技が必要かということや、臨場感たっぷりに話してくれるので、昆布の製造工場に父に連れられていって、聞いているようでした。そうして聞くうちに、祖父が店頭に立って40年くらい昆布を売り続けていたと思い込んでいたのは誤解で、祖父は昆布店のすぐ横の工場で、昆布の加工を任されていたことを知りました。無口な祖父には、きっとその仕事は合っていたんだと思います。
父に、「なんで昆布がプールみたいに大きな水を貼った箱の中をゆらゆらする様子までわたしに伝えられるのか」と不思議に思って訊いたら、「俺の子どもの頃に住んでいた家は工場のすぐ裏だったから。学校が終わったらときどき見に行っていた」という答えが返ってきました。そのときに、「あぁ、わたしは父の子なんだなぁ。おもしろいものを見てみたい。知りたい。そこに深い理由はない、そこが似ている」と思いました。

シンクロニシティーというのはあるもので、後日、父の姉である伯母が句集を自費出版したというのでそれを郵送で頂いたら、収められた句の中に、祖父のことを詠んだ句がありました。伯母にさっそく手紙を書いて、わたしの育った家族では祖父のことがあまり語られて来なかったこと、だから伯母さんの句で、祖父の人柄を知ることができて嬉しいということ、そういったことを綴った手紙を送りました。
伯母から返信の封書が届き、開けると、晩年に撮影された祖父の写真が1枚入っていました。父の実家に飾られていた遺影以外に祖父の写真を見るのは初めてです。
便箋に、祖父の生年月日や略歴も、書かれていました。

今まで、父や伯母は、実の父を自殺で失ったことに対し、わたしよりも大きな悲しみを背負っているだろうからという遠慮もあり、わたしは祖父のことが知りたいと言えなかったけれど、伯母からの答えは「私の父(貴女の祖父)に関心を示してくれて、とても嬉しく思います」という言葉と、それに手元にあった写真を焼き増ししてくれたり、調べて略歴を書いてくれたりといった行為でした。

父や伯母が生きているうちに祖父のことを以前よりもはるかに知ることができて、本当に良かったと思っています。

(2012-04-24 01:43:54回答)