『おれ』と『うち』

「『ジャパネットたかた』って、『ジャパンネットたかた』の略だよな。じゃ『日本ネットたかた』って意味なのか!?」
自転車に乗った小学生男子が、昔テレビでやっていたドラゴンボール孫悟空みたいな口調で言った。
その男子の前には、あと2人、同じように自転車に乗った男子がいた。


わたしは、彼ら3人がコンビニの中にいるときから観察していた。
彼らはコンビニ店員に、しきりに話しかけていた。


「おじさんは、ここに8時までいて、その後、別なおじさんが来るんだよ」
「じゃあ、じゃあ、おじさんは朝、何時からいるの?」
彼らが、“おじさん”の勤務時間を知りたがる理由はわからなかった。
そんなにおじさんに興味があるのか。
それとも、コミュニケーションの一環なのか。


彼らは自分のことを『おれ』と言っていた。
『おれ』は『おれ』でも、大人が言う『おれ』とは、イントネーションが違う。
本当はイントネーション記号で表したいのだけれど、アホなので表せない。
「彼らの言う『おれ』は、孫悟空の言う『おら』と同じイントネーションである」という表現で、大目に見てほしい。


男性性の否定である。
彼らが、大人の真似をして『おれ』と言いながら、大人と同じイントネーションを使わないのは、男性であることをまだ完全に受け入れられていないからだろう。


思春期の女子は、自分のことを『うち』と言う。
『わたし』や『あたし』を一旦捨て、また戻ってくる。
女性性の否定である。


中学生の頃、男子に、「なんでお前ら(女子)って、自分のことを『うち』って言うんだ」と聞かれて、顔を赤らめた記憶がある。


そのときわたしは、「あんただって、今じゃ大人と同じイントネーションで『おれ』って言ってるけど、小学生の頃は違ってたじゃん」と言いたかった。


わたしの子どもの頃、しかもわたしの通っていた小学校中学校に限って言えば、その現象は、男子では小学校1年生から4年生くらいまで。
女子では、男子と入れ替わるようにして、小学校5年生から始まって、中学校まで……、いや、高校まで続いた。


それで、何が言いたいかというと、わたしは小学校のとき、『おれ』のイントネーションが孫悟空と同じ男子を、恋愛対象から外していた。
『ぼく』がベストだった。
大人と同じイントネーションの『おれ』でも良かった。


「コンビニで出会った男の子たちっ、お姉さんは、君たちのことが嫌いだなっ」
そう言いたかっただけだ。


たぶん、「キモイ」と言われる。
わたしが小学生の頃は、「キモイ」という言葉はなかった。
世の中は複雑になった。


複雑すぎて、わたしに見えることなんて、ごくごく一部だと気付いたので、このへんで語るのをやめる。


いつも通り、舌足らずな歌手のものまねをする。