青い鳥はスーパーマーケットにいた
ここ数日、自分の存在意義について考えている。
『わたしは誰の役に立っているのか?』
『わたしにできることはあるのか?』
そんな疑問が、頭の中をぐるぐる回る。
結局のところ、わたしなんて、必要ないのかもしれない。
わたしがいなくても、あいつがいれば充分なのだ。
そう、あいつ。
あいつとは……
生協である。
生協は生協でも、『生協の白石さん』ではない。
「生協です。受け取りお願いします」の生協だ。
3日前、生協は突然、勧誘にやってきた。
そして試供品のにんじんと牛乳を置いていった。
カタログも忘れずに置いていった。
生協といえば、小学校の頃を思い出す。
クラスの女子ふたりが、同じ靴を学校に履いてきた。
仲が良くてお揃いの靴を買ったのかと思ったら、そうではなかった。
親が生協で注文したために、たまたま同じになっただけだった。
生協は、わたしたちからファッションセンスを奪う。
それに、「買い物に行く」という、わたしの数少ない役割も奪おうとしている。
それだけではない。
にんじんを置いていった生協の職員は、若くて、ちょっとかっこ良かった。
わたしから、身も心も奪おうという魂胆に違いない。
身も心も、ファッションセンスも、存在意義も、すでに奪われている主婦が、多数いるに違いない。
恐るべし生協!!
『生協になんて負けない。自分をしっかり持って生きるのだ』
そう固く決意し、わたしは今日もスーパーマーケットに向かった。