歯、語る

思えばずっと銀歯だった。


・・・・・・そう語るのは、わたしの右下奥から2番目の歯です。
地平線を見つめるかのごとく遠い目をして語る、銀歯生活の長い奥歯ですが、今日から銀歯ではなくなりました。
白い歯に生まれ変わりました。


「わーい!白いよ白いよ」と奥歯がはしゃぐので、わたしまで、ちょっと嬉しくなってきました。
ちょっとだけ嬉しかったので、歯医者を出た後、気付いたら、手をヒラヒラ動かしていました。
「この手をヒラヒラ動かす動作は、人が『ちょうちょう』を歌うときの動作ではないか」と気付いたので、慌ててやめました。
ほんとにちょっとだけ嬉しかったので、エレベーターがあるのに、5階から階段を駆け降りました。
その後は、エスカレーター脇の鏡で歯を見るためだけにデパートに入り、エスカレーターに乗りながら、大口を開けて、白い奥歯を眺めました。
せっかくデパートに入ったのだからと、服とか本とかを見ながらも、ひとつのフロアーに降り立つたびに1回はトイレへ行き、トイレの鏡で白い奥歯を確かめました。


「確かに白い。やっぱり白い」
この声が、奥歯の声なのかわたしの声なのか、しだいにわからなくなってきました。
奥歯の嬉しさがそっくりそのままわたしに伝染し、どうやらわたしはちょっとどころではなくとっても嬉しくなっているらしいと、このあたりでやっと気付きました。


これは、前にも味わったことのある感覚です。
早々に銀歯になり、さらに虫歯になり、また削って銀の範囲が広がり、神経に到達して削れなくなり、神経を抜かれたあとは、割れて朽ち果てていった、初代右下奥から2番目の歯の代わりに、白い永久歯が生えてきた日のことです。


「白い!白いよ。奥歯が白いよ」
わたしは、はしゃぎました。
それと同時に、「この白い歯をずっと白いままにするぞ。もう絶対に、虫歯になんかしない。銀歯になんてしてたまるか」と固く誓いました。


あのときの誓いは守れなかったけれど、今日、また新たに誓おうと思います。
神様がくれた2度目のチャンスです。
わたしは誓います。
この白い歯を、虫歯にしません!!


「そんな誓いは無意味だよ」
そんな声が聞こえたので、また奥歯が語り出したのかと思ったら、わたし自身が独り言を言っていたのでした。


そうです。
無意味なんです。
この白い歯は、新しく生えてきたわけではなく、銀を詰めていたところがさらに虫歯になり、銀を詰めなきゃならない範囲が広くなったために
、笑ったときなどに銀が見えるのは嫌だなぁ、と思って詰めてもらった白い詰め物なので、虫歯になるはずがないのです。
ちゃんと歯磨きしないと、また横から虫歯になることはあるにしても、今日詰めた・・・・・・生まれ変わった部分と言うのは、決して虫歯になることはないのです。


その白い歯は、何も語りません。
白い歯になった瞬間は、あんなにはしゃいで語っていたのに、今ではもう何も語らなくなってしまいました。
きっと、あと20年位したら、「思えばずっと白い歯だった。ただし人工の・・・・・・」と語り出すのだと思います。


代わりに、今までずっと黙っていた左下奥から2番目の歯が語り出しました。
「痛いよぉ。痛いよぉ」


確かに、左下奥歯が痛みます。
虫歯になったというより、10年位前に詰め替えた銀歯に隙間ができ、しみるようになってきたようです。

でもなんか、「痛いよぉ」と言いながらも、左下奥歯が嬉しそうです。
自分も白い歯になれると勘違いしているみたいです。


それは明らかに勘違いです。
こちらの歯の場合、虫歯になって銀を詰める範囲が増えるというわけではないので、また同じところに、新しい銀の詰め物をしてもらうだけです。


「思えばいつも銀歯だった〜。これか〜ら〜も〜、ぎ〜ん〜ば〜」
左下奥歯が自作の歌を歌っています。


もちろん白い歯のほうが好きだけど、白い詰め物をするには銀の場合よりたくさん削らないといけません。


「銀歯だから嫌いな左下奥歯さん、嫌いだけれどあなたを少しでも守りたいので、まだまだ銀歯でいてください」

そう、説得しました。