心がほんのり温まる出来事に、プライドはずたずた
「賽の河原〜あ〜あ〜っと」
と呟いております。
ここ最近よく呟いております。
文芸誌を読むと落ち込みます。
カーテンは揺れに揺れているし、コップの中の氷はカラカラカラカラ鳴るし、なんで鳴るかって主人公がストローでくるくるくるくる回してるんですよ。
ばかにしてません。
全然ばかにしてません。
むしろそういった文章を書けるプロの作家さんたちが羨ましくて嫉ましくて、ふつうにごみ箱に捨てればいいものを、文芸誌をビリビリに破いてごみ箱に投げ捨てたことが何度あったことか。
わたしは小学校を出ました。
中学校も出ました。
高校も出ました。
短大の生活科学科も出ました。
なのになんでわたしは言葉を知らないのでしょうか。
やっぱり、作家はみんな辞書を読んで育ったのでしょうか。
「愛読書は辞書です」って人ばかりなのでしょうか。
確かにわたしは読まずに育ちました。
嘘です。
読みました。
18歳の頃、作家になろうと思って、辞書に載ってる単語を順に読んでいき、全単語を覚えようとしました。
知らない単語が出てくるたび、ノートに書き取り練習をしました。
2週間くらいやって、ふと気付きました。
「わたし、死ぬな……。『ワニ』とか覚える前に死ぬな」と。
それでやめました。
18歳といえば、わたしはその頃、新聞投稿にはまっていました。
趣味というより、もはや仕事でした。
短大に入学したと同時に、親からのおこずかいはストップされました。
電話で、30万円の浄水器を買いませんか、とお勧めするバイトを始めました。
心はちっとも痛まなかったけど、電話する相手と職場の人たち、両方への対人恐怖で行くたび胃が痛くなるので辞めました。
あいかわらず、おこずかいはもらえませんでした。
他のバイトもできませんでした。
夕食は家で食べました。
朝食と昼食は基本的にありませんでした。
服は姉のおさがりを着ました。
そんな生活だったので、新聞投稿でもらえる1000円とか2000円は貴重でした。
図書券で支払われることも多く、その場合は、本を買ったり金券ショップに売ったりしました。
そのお金で、学食のコロッケ&ポテトサラダパン140円―でも2時まで待つと120円―を当然2時まで待って買いました。
わたしがコロッケ&ポテトサラダパンを食べられたのは、新聞投稿あってこそでした。
それなりのプライドもありました。
新人賞の取りかたとか、文章の書きかたの本が出ているように、一応、新聞や雑誌の読者投稿に採用されるコツ、みたいな本も世の中には売られています。
それを読まないでも、送るたびにほぼ100%の確率で載るわたし、すてき!!
と自分のことが好きでした。
新聞投稿とはいえ、文章は文章、いつか小説を書くようになったらこれが役に立つかも、という期待もありました。
ところが……
なんの役にもたちゃしません。
わたしが書いていたのは定型文です。
最後に「いかがなものでしょう」って書けば載りました。
老人、障害者、動物、ポイ捨て、歩きタバコ、親切、怒り、同情……
それらを無味無臭な文章で書けば確実に載りました。
下手に特徴を出そうとしてはいけません。
そんなことをしては、2000円が手に入りません。
事実を簡潔に並べ、最後に一行、「いかがなものでしょう」とか「心がほんのり温まる出来事でした」とか書くのが、確実に2000円を手に入れ、コロッケ&ポテトサラダパンを食べられる方法でした。
あ〜
あ〜
あ〜
賽の〜
河〜原〜あ〜あ〜っと
2000円は2000円でしかありませんでした。
それ以上のものをわたしは得ていなかったということを、今さら知りました。
まともな文章が書けません。
木とか書けません。
桜も書けません。
デニーズも書けません。
自分がノータリンだと知る作業はこの上なく辛いです。
最後に、東京都知事選について言いたいことがあります。
候補者の一部の方はいかがなものでしょうか。
不愉快です。
写真が不愉快です。
あと、選挙カーに乗っている人々は、道を歩いているだけのわたしに一方的に手を振るのはやめて欲しいです。
「あ!あそこに一匹猿がいたぞ。おーい!」
と言われている気分です。
心がほんのり温まる出来事でした。