「わたしの名前『飲食代』じゃないんですけど」

いくら私生活でいろいろあるからといって、中国人に八つ当たりするのはよくない。
いくらお腹が空いていたからといって、中国人に八つ当たりするのはよくない。


今日、店内でも飲食できるパン屋に入ったら、いつもならふたりは見かける店員が、ひとりしかいなかった。
ひとりでレジに立っていた店員は、話し方からして中国人。
その中国人店員は、わたしが注文した黒ゴマケーキのことをすっかり忘れていて、飲み物やらパンやらなんやかやの会計を済ませたあと、わたしはもう1度黒ゴマケーキだけのために、財布を出して会計をするはめになった。


そこまでは『あ〜、めんどくさ。お腹空いた……』くらいの気持ちだった。
そしてふと、『そうだ。高額だし、レシートじゃなく領収書もらおっと』って思った。
『その前にこの店員さん、何も聞かずに今レジから出てきたレシート捨てたし。おつりだけ寄越そうとしてるし』って思いながら、「すいません。いま2枚になっちゃったレシートを1枚にまとめて、領収書でください」
わたしのこの言葉によって、わたしと彼女の戦いがはじまった。


初めは穏やかだった。


彼女は『家捜しか!?』ってくらい、戸棚という戸棚を開けて、手書きの領収書用紙を探している。
わたしはなるべく不機嫌な顔にならないよう待った。


彼女はひたすら探した後、店長らしき人に電話をし、指示を仰いでいた。
『そうできるんなら、初めからそうしてほしかった……』


そして、「これですね」とか電話に向かって言いながら、レジを操作していた。
レジの何個かのボタンを押したあと、しゅるしゅるしゅると領収書は出てきた。


『手書きの領収書じゃなく、レジから出すのかい!?……いや別にどっちでもいいんだけど、さっきまでの家捜しみたいな動き、全部無駄じゃん!それ待ってたわたしも無駄じゃん!』っていう怒りがふつふつと沸いてきた。


その怒りをこらえようとしたけど、彼女に「領収書、2枚になります」って言われたとき、わたしの脳は1年に1回、あるかないかくらいの激しい怒りに支配された。


この間、わたしは彼女からひと言も謝罪の言葉を聞いていないんだーーーーー!!


しかも彼女はなんでわたしのことを「領収書なんていう面倒なものを頼むんだこの客は」みたいな目つきで見るんだーーーーー!!


どうせ2枚になるなら、レシートと代わらないじゃないかーーーーー!!


「黒ゴマケーキ1点、飲食代」のレシートって、経費として絶対あやしいから、全部まとめて「飲食代」の領収書が欲しかったんだーーーーー!!


と、以上のことを頭がぐるぐるした結果、怒りを押し殺した声で、「但し書きは『飲食代』で。『飲食代』って……書けますよね?  」と言った。
「漢字、書けません」
「『飲食代』は、ふつうの『飲食代』ですよ」


……もうここで、わたしは人として間違っている。
いじめの心理が働いている。
わかってるけど、引っ込みがつかなくなった。


「紙に書いてください」と、紙とペンを差し出された。


その頃には、それまでの怒りと『あぁ、やっちゃった。いくらなんでもひどいこと言ったよ、わたし。でもこの中国人むかつく。あーーーー』と、頭の中はパニック。


差し出された紙にペンで書いた、まず1文字めの文字は……




「飯」をぎりぎり最後まで書き終わる前に、なんとか「飲」に直した。
『あぁ、わたしだめだ』と思った。
大人として。
日本人として。
人間として。


反省した。



だけど反省したのも束の間。
彼女がわたしの書いた、ぎりぎりな『飲食代』の文字を、但し書きのところではなく、宛名のところに書いているのを見て、怒り再燃!


「あのー、わたし、『飲食代』って名前じゃないんですけど」
怒りながら、怒ってる自分がいやで、消えたくなった。


「あッ!」
と言って、彼女は『飲食代』様になってしまった宛名を修正液で消した。


やっと領収書をもらえて、夫の座っている席の隣に腰をおろした。
「君のあらたな一面を見た」と夫は笑っていた。
全部聞こえていたらしい。


わたしは夫の横でテーブルに突っ伏して、「中国人いやだ。なんでひと言も謝らないの。あんなミスの連続でも『失礼しました』も『すみません』もないよ。『恐れ入りますが紙に書いていただけますか』も言えないひと、なんで雇うの、この店は。中国人いやだ。中国人いやだ。中国人いやだ。中国人いやだ。中国人いやだ」と呟いた。


店員にコーヒーができたと呼ばれたけど、また顔を合わせるのがいやで、夫に取りに行ってもらった。


夫が席を立っている間もわたしはテーブルに顔を付けていて、テーブルの上で腕をびよーんと伸ばした格好で「わたし自身はもっといやだ」と呟きながら、ちょっと泣いた。


わたしがパンを食べている間、中国人の彼女は店内にいた女性客と、中国語でなにか話していた。


店を出るとき夫から「だいじょうぶだよ、彼女は気にしてないよ。きっと中国語で君の悪口言って、今ごろすっきりしているよ」と、なぐさめなんだか追い討ちなんだかわからない言葉をかけられた。