深いところで通じ合いすぎでわからない

昨日までのわたしは飲食店で店員を呼べなかった。
ファミレスのテーブルにある、押せば店員さんが来てくれるすてきなボタン、あれが命綱だった。
セルフサービスの喫茶店では商品名以外は一語たりとも口にしなかった。


だけど今日のわたしは違う。
眼科の受付で「ありがとうございました」と言い、処方せん薬局で「お世話様です」と言い、セルフサービスの喫茶店でも、にこやかに「アイスソイラテお願いします」と言った。


「アイスソイ……」と語尾が消えてなくなっていき、
「は?」
という答えが返ってくることもない。


「アイスソイラテお願いします」
「かしこまりました」
なんともまぁ、円滑なコミュニケーション!


天才に朗読してもらった自己啓発本によると、他人に見られたい自分として振る舞っていると、本当に他人からそういう人間として見られるらしい。


ということは、知らない人とのコミュニケーションが大の苦手のわたしでも、『全然へいきよ。ふふふん』と振る舞っていれば、他人からは、なんなくコミュニケーションできる人と見られるわけだ。
なんと都合のよい…
なんと簡単なことなんだ。


セルフサービスのカウンターでアイスソイラテを受け取り、トレイに乗せたそれを持ちながら二階へ昇った。
タバコは吸わないんだけど、喫煙席しか空いてなかったからそこに座った。
ソファーに腰掛け、向かいの椅子にジャンパーをかけたと同時にその椅子を引いた。
『あんまり椅子が飛び出してても、通るひとに邪魔になるしね』って思いながら。


その直後、隣の席の男性に声をかけられた。
「すみません」
いつもなら、無言でそーっと見るところだけど、病院と薬局とアイスソイラテで自信の付いたわたしは、満面の笑みで右隣の男性を見、「はい!」とにこやかに返事をした。


40代前半くらいのその男性も、なぜか満面の笑みだった。


そして満面の笑み同士、1秒のずれもなく同時に頷き合った。
わたし自身にも、そこで頷いた理由がわからない。
ただ、なにかを共有したのだと思う。


それはなにか?


男性から目をそらし、かばんから手帳をとり出しペンを走らせた。
「知らない人だー
わたしが椅子をひいた
それに対して謝った?
謝罪の『すみません』?
なんで


意味がわからん〜
「すいません」40才
頷く わたしも頷く
誰だ? なんだ?」


そうこうしてる間に、隣からタバコの煙がこちらに流れてきた。
隣の男性は携帯電話でも話しだした。
どっちかひとつなら、あのときわたしにも気付かないうちに「すいません、タバコ吸いますよ」「いいですよ」というコミュニケーション、あるいは「ケータイで話しますよ」「いいですよ」というコミュニケーションが成立したのだと理解できる。


でも、両方一緒だよ!!


「ますますわからないよ わからないよーーーーー!!
だけどわたしたちの心は一瞬、たしかに深く通い合った
わかったところで原宿の喫茶店で隣合わせただけの一回り年上の男性と友達になることもない」


メモ帳に書き続けた。


「わたしのコミュニケーションスキル向上における、次の課題
知らない人と笑顔で見つめ合い、頷き合うということが、今後またあった場合
『わたしたちのこの頷き合いは、何をわかりあっての頷き合いなんでしょう』と訊いてみる」


ひとりでメモを書き続けるのはそこでやめた。
隣の男性は、次から次へといろんな相手に電話をかけていた。
寂しいのかもしれない。