散歩や買い物に出かけるとき1曲目に聴く音楽

今週のお題「わたしのプレイリスト」

まず初めに私はロックバンドが好きだ。そんな私の音楽と日常の話

家から徒歩5分のスーパーマーケットが先月下旬から7月上旬まで改装のため閉店中である。

つまり6月いっぱいそのスーパーマーケットでは買い物ができない。

 

早く帰宅できた日は半額シールが貼られる夜8時にお弁当(値引き価格200円前後で栄養バランスの良いお弁当)を買いに行ったり、重たいペットボトルを持って長時間歩かなくても良いから助かったり、一人暮らしの簡単な自炊の食材もそこで買ったりと挙げればキリがないほどいくつもの理由で重宝していた店だった。とはいえ、毎日開店しているという安心感があるからこそ、時々、家から10分のスーパーマーケットへも、15分のスーパーマーケットへも、珍しい食べ物飲み物を求めて浮気をしに行けるというものだ。

 

本命と再会できる7月が待ち遠しい。

 

ところで私はスーパーマーケットに買い物に行くときには歩きながら必ず音楽プレーヤーで音楽を聴いている。

 

買い物に行かなければならないこと自体は疲れていて億劫に感じることもある。そういった面倒くささを吹き飛ばしてくれるのも音楽の良さのひとつだと思っている。

 

家から徒歩5分のスーパーマーケットへ行くときには1曲の平均的長さにより、店に着くまで音楽を1曲だけ聴ける。『今日はどの曲を聴きながら買い物に行こうかな』と愛用の音楽プレーヤーであるiPod touchを触って選び始めた頃にはもう出かけるのが億劫ではない。

 

そうして曲を選んでいたら『徒歩15分のスーパーのほうがパスタソースが安いんだよなぁ』などと行き先が変わることもある。以上の事情により、私が今回この記事で公開するプレイリストは、この順番で聴いているという意味ではなくて、買い物に出かける1曲目に聴くお気に入りの曲を編集して作ったプレイリストである。

 

同じバンドの曲を聴いている人や、ちょっと聴いてみようかな、と思ってくれる人の目に留まったら嬉しい。

 

 

サンフランシスコ 筋肉少女帯

the twenties 5

美ちなる方へ 神聖かまってちゃん

Giri2 神聖かまってちゃん

あと10秒で ART-SCHOOL

その先へ THE BACK HORN

どの曲も気分が上がる曲ばかりです。

 

the twenties「5」収録アルバム

+PUS

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小学校の掃除の仕方は罰だと思っていた

 

話すよりも書いたほうが私の言葉は伝わりやすい。

 

そう思うようになったきっかけが小学6年生の1学期に書いた班日記だった。

席順で決められた4人1組の班で1冊のノートを共有し、4日にいっぺん班日記を書く順番が回ってくる。5年生になって担任が変わったタイミングで始まった班日記であったが、あるときが来るまで他の生徒に倣って「今日は放課後、鉄棒で遊びました」といった当たり障りのないことでノートの1ページを埋め提出していた。

 

ところがある日、ずっと不満に思っていた思いをノート4ページに渡って書いた。

 

私の書いた文は帰りの会の時に「誰が書いたかは言いませんが」という前置きの後、担任がクラスメイト全員の前で全文読み上げた。そして「こうしたノートを書いてきた生徒がいますが同じように『罰だ』と思っている人がいたら手を挙げなさい」と言った担任の言葉に手を挙げる者は1人もいなかった。

 

私が書いたのは、担任の決めた掃除のルールに対する疑問と不満についてだった。

掃除の時間に身に着ける三角巾を家に忘れてきた場合には、掃除の時間には掃除をせずにいなさい、そして放課後、掃除の時間に三角巾を付けた生徒達が掃除した教室を三角巾を忘れた人達だけでもう1度掃除しなさい、という掃除のルールがあった。クラスの中で1日に3〜5人が三角巾を忘れてきていた。

 

誰が訊いたわけでもないのに担任は「これは罰ではありません」としょっちゅう口にしていた。

 

私が班日記に書いた内容を要約すると以下の内容だ。

「実際のところ、三角巾を忘れた生徒も掃除の時間に何もしないのは気が引けて掃除をしています。その上さらに放課後にまた掃除をしています。それを先生は見ているはずです。三角巾をせずに掃除をすることが良くないと言うなら、なぜ1日に2度も三角巾なしで掃除をさせるのですか。先生が私達にさせていることは、先生が違うと言っている『罰だ』と思います」

 

大人が子どもに自分の行いの矛盾を指摘されれば腹が立っても自然なことだ。大人になったのでその時の担任の気持ちが少しは想像できる。

けれど小学6年生だったその時の私は、おかしいと思ったことをおかしいと伝えずにはいられなかった。

 

挙手することで擁護してくれた人はクラスに1人もいなかったが、私自身は、班日記を皆の前で読み上げられたことや、誰も手を挙げてくれなかったこと、担任がこれまでとは掃除の規則を変えようとは思ってくれなかったこと、それら全部の悔しさよりも、一応は大人に言葉が通じたという喜びのほうが大きかった。

 

担任が他の先生だった低学年の頃から「塾でもう習いました」などと余計なことを言って波風を立てる生徒というのはいた。そういった生徒を自分よりも幼いと感じ見ていた私は、6年生になって書き言葉によって、幼さをクラス全員の前で暴かれてしまったわけだけど、恥ずかしさよりも、私にも思っていることを伝える「手段」があったのだと気づいた快感のほうが強かった。

 

掃除のルールは変わらないまま小学校卒業の日が近づき、卒業前に行われる三者面談の折り、2人きりで向き合ったとき担任は「いつも話さないあなたが思っていることを書いてきたあの出来事はあなたのこれからにとって良いことだと思っています」と言った。

大人に歯向かってきた子どもに憤慨させられても尚、誰にも何も伝えようとしないで教室にいた私の今後の中学生活や大人になってからを気にかけ、譲歩した言葉を言ってくれた。

 

ルール自体に関しては、大人になった今の私が思い起こしても矛盾があったと考える。

また、私の書いた当時の文は、大人にしっかりと伝わるほどの筆力はなく、不満を伝えながらも不満を伝えた相手に話の概要を汲み取ってもらっていたという甘えのある文であっただろう。

 

中学生になり、高校生になり、と大人に近づいていった私は話すことがいっこうに上達せず、高校3年生から20歳の頃は新聞の投書欄に投書することを趣味としていた。

 

その後もたくさん文章を書いてきた。

話し言葉ではあまり本音を話さずに生きてきた。

 

話し言葉と書き言葉、どちらかひとつでも他人に考えていることを伝える手段を持てたということを、伝達手段は何もないと小学6年生まで諦めていた私は幸いだと感じている。

 

どちらも持てなかったら私の人生はもっと辛い人生であっただろうから。

 

昭和の浴室にて

 

お題「人生で一番古い記憶」

 

バランス釜が横に設置してあり浴槽の深さは令和の一般的な風呂より深い、そんな昭和の風呂で3歳くらいの頃の私は、浴槽の中で立膝を付いた父に風呂に入れてもらっている。

小さな私の両脇を両手で支えた父が、立った状態の私を膝の上に乗せている。

時折「たかいたかい」の要領で、膝の上に乗っていた私を少し持ち上げる。そして自分の膝に着地させる。それを繰り返すのだが、湯の中で父に持ち上げられたり降ろされたりする私は、とても心もとない。父の膝に自分の足の裏が付くと安心を感じ、離されると不安になる。

泣いていた記憶はない。

ただただ、安心と不安を繰り返した感情の記憶と父の膝の感触を覚えている。

それが私の人生で一番古い記憶だ。

 

大人になった私からのおすすめお風呂アイテム

 

きき湯ファインヒート炭酸入浴剤

自宅のお風呂でたっぷり汗をかけて新陳代謝を促進させてくれます

大好きな絵本リサとガスパール

お題「大好きな絵本は何ですか?」

小学生の時に好きだった絵本というか児童書(一行目でお題からそれています……)は『きいろいばけつ』をはじめとしたきつねの子シリーズでした。

私が小学生だった頃に『きいろいばけつ』は課題図書になっていたのでそれをきっかけに読み、この本の中のきつねの子が大好きになったので、その後親に1冊ずつ買ってもらい集めてシリーズ全5作を持っていました

もりやまみやこ作のストーリーに惹き込まれ、つちだよしはる画の絵に癒しを感じていました。

シリーズの中で初めて出会った『きいろいばけつ』は何度も繰り返し読んだ大切な本ですが同じシリーズの『たからものとんだ』も子どもの頃の私に寄り添ってくれた温かいお話でした。

 

 

お題に添い「大好きな絵本」といえば、大人になってから出会った『リサとガスパール』です。

 

アン・グットマン文 ゲオレグ・ハレンスレーベン絵

リサとガスパール にほんへいく』

うさぎのように見えますがなんの動物なのかは定められていない女の子のリサと男の子のガスパールは好奇心旺盛で、ふたりがいたずらをしたり仲良く遊んだりしている姿を見ていると心和みます。

 

 

ぬいぐるみやタオル、文房具などグッズを集めていた時期もありました。

 

リサとガスパールのタンブラーが可愛くて使い勝手も良さそうで気になります

エキナセアで花粉症薬要らずになりました

 

お題「〇〇をしたら花粉症が治った!」

 

10年以上前に花粉症を発症し、副交感神経から交感神経優位に変わる朝にはくしゃみと鼻水が止まらない花粉症のモーニングアタックの症状も経験しました。

モーニングアタックが本当に辛くて、自分が「起きた」と自覚するよりも前に自律神経は交感神経優位へと移行を始めているので私の生活スタイルとしては起きる必要性のない朝5時前後に花粉症の症状で起こされること、花粉症期(私の場合は2月下旬から5月上旬まで)2ヶ月半という暮らしでした。

耳鼻科でアレルギー薬を処方してもらい飲みつつ、いくつかの民間療法を試してみた結果、薬を飲まなくても症状が出なくなったのが、ハーブのエキナセアでした。

 

春になる前の冬から(1月頃から)エキナセアティーを自宅で1日1、2杯飲むということを花粉症薬と併用して行っていたら、それまで薬を飲んでいてもあった花粉症の症状が軽くなりました。

去年、試しに耳鼻科に行くのをやめてエキナセアティーだけにしてみたら、時々鼻水の出る日もある、くらいに花粉症の症状が軽減されていました。

 

それでは、今年は同じエキナセアでも気温が高くなってくると飲みづらくなってくる温かいハーブティーではなく、手軽に飲めるサプリメントに変えてみようと変えてみたら、今年からは花粉症期(私の場合は2月下旬から5月上旬まで)2ヶ月半のうち4、5日は鼻水の気になる日がある、という状態に落ち着きました。耳鼻科にも行かず、ティッシュを大量消費することもなく春を過ごせました。

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ハーブティーを飲んでいた数年があったからこそ、サプリメントだけで花粉症薬要らずになったのか、それとも初めからサプリメントでも良かったのかは、逆の順序で試していないのでわかりません。

ただ、ハーブティーのデメリットとして(熱いお湯で挿れてから冷ますなどしない限り)花粉症時期の途中で気温が高くなり熱い飲み物を飲みづらくなるというのはありますが、メリットもあってエキナセアを知った頃はくしゃみや鼻水の症状が相当あったので、ハーブティーを飲んでいる最中に湯気が鼻に入ってきてスーッと心地良くなるひとときが過ごせました。

花粉症の症状があるとストレスを感じやすいので、飲むことによってリラックス効果も感じられるハーブティーのほうが良いか、手軽に取り入れられるサプリメントのほうが良いかは一概には言えません。

 

また、ハーブティーの良さとしては好みのブレンドができるということがあり、エキナセアと、さらにペパーミントも一緒に茶こしに入れてからお湯を注ぐなどすると、ペパーミント単体では花粉症の症状軽減効果は弱く感じられるものも(試してみました)鼻にスッとくる感触はより強くなり、気分転換にもなりました。

もし良ければ、ハーブティーでもサプリメントでもエキナセアを試して頂き、私と同じように体質にぴったり合ったハーブだった、ということで辛い花粉症から解放される方がいたら幸いです。

 

アロマテラピー検定1級を取得しているので、興味の分野としては近いハーブに関心を持ち花粉症対策に役立ててみたという経緯があるのですが、メディカルハーブの資格は持っていないので今後取得を目指してみたい資格のひとつではあります。

 

楽しい医療体験

「今の時期」から書き出そうとして、そうか。私は基本的には全記事、10年後も20年後も残しておくつもりでブログをやっているんだったと気づきました。

10年後に何かの拍子で私のブログ記事ひとつにたどり着いてくれた方のためにタイムカプセルのような気持ちで、一見、誰でも知っているから余計に感じられる次の2行を書いておきますね。

 

2020年は春から新型コロナウィルスが流行し、ウィルス感染による死者も多く出ています。そして10月になった今は「コロナ鬱」という言葉がどこからか出来上がって熟成し、実際に、コロナウィルスには感染しなかったけれど、ストレスからくる心身の不調が出てきている人が多く出ています。

 

そんな時期にも関わらず、「医療崩壊」「医療従事者」への負担、という注視されている言葉を無視して私は「今、書かなくても」「今、病院に行く必要があるのは重症患者だけでは」という声が聞こえてきそうなブログ記事をここにひとつ書きます。

それが、SNSとブログの違いだと思っています。

 

私は今、コロナの症状も出ておらず、またコロナ鬱にも今のところかかっておらず、こうしてブログが書けます。ところが、私自身が、明日はブログを更新できない身とならないとも限らないわけです。だから、未来のブログ読者に向けて書ける時に書き残します。

前置きが固くなりましたが、今までの不定愁訴を多く乗り越えてきた私の人生の中でも、体調不良のうちでも、多くの人の身に起こってもおかしくないごく身近な体調不良の時の、病院の助けを借りた対処法について愉快な読み物として書きます。

 

はい。

愉快な読み物の始まり始まり。

 

鼻から胃カメラは、SM趣味がなくても自我が消せるから面白いよ。

医療現場が切迫している時期であろうとなかろうと、ここ大事「胃の不調を感じて検査を受ける必要がある」人限定でおすすめしています。「擬似SM体験しにいーこう」をやってほしくてすすめているのではありません。

どちらにしても受けないといけなのなら、少しの楽しみを持って行きませんか、と提案しているわけです。

私は10数年前に、おそらくストレスから来ていた胃の不調を数ヶ月間抱えていた時期があり、その時に鼻から差し込むタイプの胃カメラを経験しました。

医師は70代位の男性で、年齢性別に関わらず医療行為を受けている側なのだから性的に興奮するわけもなく、だけど、鼻から胃に届くよう管を通されながら、出そうとせずとも出てしまう「あぁ」「うぐ」などという声を出してしまっている最中に『あ、これ、SMだな(経験ないけど)』と気づいた瞬間に、脳が『経験したことのないことを楽しもう』モードに切り替わりました。

大人の人間なので、毎日自我を保って生きている、これは案外疲れるものです。

ドクハラ、セクハラの気配のない真っ当な目の前の医師に身を任せ、ひととき自我が消える体験を楽しもう、と私は鼻から胃カメラを楽しみました。

胃カメラを抜き取った後に、苦しかったけど耐えた患者の1人としての私に医師は、医師としての労いの言葉をかけてくれました。

私の考えていたことといえば『いやぁ。ひととき自我が消えて楽しかった』

検査によって分かった診断名は表層性胃炎で、やはりストレスからくるものだろうということでしたが、私はその病院に行く以前は数ヶ月間食欲もなく毎日胃薬の欠かせない生活を送っていたのですが、なんと! 検査を受けて病院を出たすぐ後に「この近くに蕎麦屋があったはずだよなぁ。検査を受けた直後だけどもう食べてもいいのかなぁ」と、数ヶ月ぶりに、食に対する欲を感じました。

ひととき自我が消え、返ってきたのは食欲でした。

そこの病院で処方された漢方薬を飲む前に返ってきた私の食欲は、そのいっときだけではなく、漢方薬を飲みつつの時期にも、飲む必要がなくなってからも、私の元に返ってきました。

消えたのは自我(鼻から胃カメラを注入されている時だけ)、返ってきたのは継続した食欲。

『胃の不調を長く抱えて胃薬でその都度対処しているけれど。あと、胃カメラ検査はなんとなく怖いから医師側から勧められるまで、やらない。というか、病院に通っていてこのままでは勧められそうで怖い』というどこかにいるあなた。

自ら「ここの病院は、鼻から胃カメラをやっていますか」と、ごく自然に訊いてみましょう。自我が消えるという人生経験ができ、胃薬との長いお付き合いから解放されるかもしれません。

というわけで私はブログで鼻から胃カメラをおすすめします。

 

ふたーつめ。

このブログに1度書いたことがあったような気もしますが、歯科治療で歯を削られる予定でそれがとてつもなく憂鬱な人は、マンガ『殺し屋1』を読んでから行くといいですよ。

この同じブログで確か1度書いたので2度目になってしまいますが『殺し屋1』で、自分の舌を切る時に「痛み」と「痛い自分」を切り離していた登場人物がいました。私は20代前半の時にその技術を歯科治療を受ける時にのみ、発動できるようになり、その後も歯科医院に行く時は発動させています。

歯を削られるだろう予定でそれが怖くて憂鬱な場合『殺し屋1』を読んでから行くのをおすすめします。

舌を切るシーンが何巻だかわからないのは、ごめんなさい。でもマンガは1巻から読んだほうが面白いから、「痛み」と「痛い自分」を切り離して楽しみに行く前に(歯科医院に行く前に)マンガを読むことを楽しんでから行くことをおすすめします。

 

さいご。

私は20年近く前に道を歩いていても意識を失いそうなほどにしんどい重度ドライアイを発症して、その後、市販の目薬、眼科通いで処方してもらう目薬、と来て、両目とも、上の涙点に涙点プラグを挿入し涙点を塞ぐことによって、目の表面を覆う涙を逃がしづらくしておく、という治療を受けたら、ドライアイではあるけれど重症ではない、という状態に落ち着きました。

涙点プラグの挿入は眼科医によって、時間にして片目1分ずつ位でしょうか。プラスチックを涙点に入れられる、痛くない。

涙点プラグの挿入処置は短い時間で終わり、その後生活していて何かの拍子に涙点プラグが外れるということがなければ、そのままずっと、ドライアイが軽症化したまま生活ができます。私は重度が軽度になって、眼科での目薬処方はしてもらっていますが、道を歩いていて意識を失いそうなほど辛いということはなくなりました。

辛いドライアイの症状を緩和するのにおすすめです。

 

以上。

 

おすすめのマンガ

つげ義春ねじ式

 

8月

今月、いろいろな考え事はしていたんですけどそのひとつとして『なんでわたしはこんなおもしろ文体になってしまったんだろう?』というのがあります。書きたい内容によっては今までブログで使ってきた文体だと非常に書き難いです。