Campus緑の表紙の原稿用紙

読書禁止2日目。


今日、原稿用紙に文字を書きました。
「現実」を書きました。
夫と離婚しなければいけないこと。
1年前にソーシャルネットワーキングサービスによって再会し、短い期間を経てまた他人に戻った、初恋の相手がバカだったこと……
中学時代見つめていることしかできなかった初恋の相手が、話してみたらバカ……
初恋の相手がバカ……
笑えると思っていたことが、実はとても悲しいことだと気付きました。


原稿用紙に文字を書きながら、わたしの逃避場所はいつだって読書ではなく、書くことだったのだと思い出しました。
それを思い出した場所がチェーン店の喫茶店シャノアールで、思い出した瞬間、うわーッっと泣けてきました。
ひととおり泣いた後、レジで会計を済ませ、店を出ました。
店を出たらまた涙が出てきて、号泣しながら自転車を全力で走らせました。
人も疎らな夜の街を、家まで全力疾走する必要は、まったくありません。
ただ、そんな気分だったのです。


家に帰って、20歳前後に書いた文章を読み返しました。
その頃使っていたのも、今日ひさびさに使ったのと同じ、Campusの、緑の表紙の原稿用紙です。
5回書き直して、結局出だし5枚しか書けなかった、コビトとコビトが文通で知り合って、動物園で楽しそうにしている親子を大量虐殺する物語が発掘されました。
なぜか主人公である女の子のほうは、初め自分がコビトだということを相手に隠しています。
「わたしは小柄だけど、コビトというわけではありません」
と手紙に書いています。
相手は初めから明かしているのに。
ちょっとずるいですね。


現実に実家にいて、父親が死ねばいいのに死ねばいいのに、と切実に願っていた頃書いた、これまた小説とはいえない文章は、父親が自殺し、主人公である娘が後追い自殺をし、その主人公はネットで宗教を開いていたから、信者たちがバッタバッタと後を追って死んでいく……そんな話でした。


わたしはファンタジー小説の中で冒険もしなかったし、SF小説を読んで未来に思いを馳せたりもしませんでした。


容姿に対するコンプレックスをコビトという形で書いたり、殺したいけど殺せない父親を紙の上で殺したり、そんなふうにして願望充足と、現実逃避をしてきました。


今日わたしの流した涙は、原点に戻り、書くことで現実から逃げようと思った、すがすがしい涙です。


明日も逃げよう!!