【読書】赤色のモスコミュールとセカチュー

「いま、すっごい小説を読んだ! 著者は佐藤友哉っていうんだけど、読んだら人を殺したくなった」
わたしがそんな文面の携帯メールを送ったのは、当時同じ本屋で働いていた異性の友人だった。

彼からの返信はすぐに来た。
「俺もいますげぇ小説読み終えたとこ。『世界の中心で愛を叫ぶ』ってタイトルなんだけど、冒頭から彼女が死ぬシーンなんてありえないよ。号泣した(顔文字)」
セカチューが映画化されるちょっと前で、わたしは23歳、彼は20歳だった。
もう5年も前の話だ。

それなのに、このメールのやり取りはいまだによく思い出す。
「読んだら人を殺したくなった」小説……「赤色のモスコミュール」の収録された『灰色のダイエットコカコーラ』が去年発売され、部屋の本棚に並べてからは思い出す頻度が高くなった。

佐藤友哉
「赤色のモスコミュール」収録『灰色のダイエットコカコーラ』

わたしと彼は、上のメールのようにいつも噛み合わなくて、互いに詮索しなくて、対等だった。

……ように思っていたけど、いろんなエピソードを思い出すにつれ、年下の彼のほうが世の中のことをなにもわかっていないわたしにいろいろ教えてくれていたから、そういう意味では対等ではなかったのかもしれない。

バイトの帰りにふたりでレンタルビデオ店のAVコーナーに入ったことがあった。
「わたし入ったことないんだよね。入ってみたいからバイトの帰りにTSUTAYA付き合ってよ」
わたしからの提案だった。
「いいけど。それ、俺じゃなかったらぜってぇー誘ってると思われるから気をつけろよ」
「ふ〜ん。そういうもんかね?」
AVコーナーに入ると、彼は早々に「もう無理。恥ずかしくて無理」とギブアップ宣言をした。
わたしはもっと、ビデオとか客とかを観察したかった。

免許を取りたてだった彼は運転したくてしょうがないらしく、わたしをよくドライブに誘った。
親の車だけど車の中は彼の趣味で、乗るたびに紫色に光るものが増えていった。
「ドライブ付き合って」というメールに、「いま4駅先のパルコ。たいへんだ! 買うものあるのにもうすぐ閉店だ」と返信したら「送り迎え付きでどう?」というメールが返ってきた。
車の中で「なんでこんな時間にパルコ?」と訊かれ「えへへ。彼氏できた。明日デートなんだ。着る服なくてさ〜」と答えるわたしに彼は言った。
「彼氏に『昨日なにしてた?』って訊かれたら間違いなく『友だちとドライブ』って答えるだろ」
「うん。そうだね。いまこうしてドライブしているからね」
「ふつう嫉妬するから。そういうこと隠しとけよ」
「ふ〜ん。そういうもんかね?」
ドライブ中は、「車の中から見えるラブホを多く見つけたほうが勝ち」という遊びを毎回やった。
相手に先に言われまいと、大声でラブホの名を叫んだ。
わたしが考えた遊びだった。

彼は、わたしが路上でウクレレを弾きたいと言えば缶コーヒー1本で付き合ってくれたし「サシで飲もうや〜」というわたしのお決まりの台詞から始まる呑みにもよく付き合ってくれた。

わたしは彼といるとき、バイトちゅうの仕事ができなくておどおどしたわたしではなくて、底抜けに明るいいつも笑っているわたしだった。

隠すこともなく半袖を着てリストカット痕をさらしているわたしに対しバイト先の他の男性は面と向かって「痛々しいですね」と言うこともあった。
だけど彼は何も聞かなくて、わたしの話すことだけを聞いて、わたしの演じる明るいわたしを、「わたし」として受け入れてくれた。
少なくとも、『そう受け入れてるよ』と見えるように振る舞ってくれた。
わたしのほうも『彼の出身高校はすごく成績がよくなきゃ入れない学校なのになんで大学に行かなかったのか』とか疑問はあったけど、自分から彼になにかを聞くということはなかった。
みんなに言っている「高卒」というのは嘘だということ、本当は大学中退でそれにはわけがあること、そのわけ、などを彼のほうからぽつぽつ話してくれた。

一般的に異性間の友情は難しいと言われているけど、あのとき、確かにわたしたちの間に友情は成り立っていた。
全部をさらけ出さないからこそ、成り立っていたんだと思う。

『わたしを知って』という身勝手な欲求から、わたしがいつも長文メールを送っていたら決して成り立たなかった。

彼から送られてきた印象的なメールがもうひとつある。
「空がピンク」
たったそれだけのメールだった。
「ほんとだ! ピンクだ!!」
わたしはそのとき部屋にいて、カーテンを開けて窓から顔を出しながらメールを打った。

家が近くて、バイト先が一緒で、わたしが処女で、彼が誠実だったから成り立った関係だった。
いま思えば、彼がいくら誠実だと言っても、わたしがバイトをいい加減な辞め方をしたくらいで嫌われたりはしなかったと思う。
それなのにわたしのほうからバイトを辞めたのを機に彼と連絡を取らなくなった。

たとえ再会したとしても「空がピンク」というメールはもう送受信できないから、彼とはもうこのまま会えないままがいいと本気で思う。

「いつか他の人と、あんなかたちの友情が育めればなぁ」と、わたしにとっての模範的な友だちの形として、彼をときどき思い出す。