短編小説『テトラ』

「舞子は、なんで彼氏作んねぇんだよ」
「そっちこそ、大学入った途端、なに新しい彼女作ってんのよ。くだらない」
「はいはい。そうですか。いつでも彼氏のひとりやふたり、20人、2000人、作れる舞子さんにとっては、恋愛なんてくだらないんでしょうね」
圭一が、リュックの中を探っている。
「違うわよ。くだらないのは……」
『あんたの彼女』と言おうとして、舞子は口をつぐんだ。
『歴代のね』とも付け足したいくらいだったけど、黙っていた。
舞子と圭一は幼稚園の頃からの付き合いだけど、こんなふうに放課後、毎日のように舞子が圭一の部屋を訪れるようになったのは、中学に入ってからだ。
その頃ちょうど、圭一の兄は実家を出て自衛隊に入隊し、そして三日で自殺した。
中学から現在に至るまで、圭一には何人かの彼女ができた。
そして、その何人かの彼女と圭一は、例外なく舞子が原因で別れた。
「あの女とはどういう関係」と詰め寄られても、「二股かけられた」と泣きわめかれても、圭一はへらへら笑って、「ごめん。じゃあ、そういうこうで」「そういうことってどういうこと?」「別れよう」……それであっさり、歴代彼女とは縁が切れた。
舞子は、圭一と彼女たちのそういった修羅場を知らない。
興味もない。
ただ、圭一の部屋が気に入っている。
「『ドラゴンボールZ』観るね」
舞子はベッドに寄り掛かっていた姿勢から立ち上がり、銀のシェルフに積んであるビデオテープを目で追う。
それら全部に、太いマジックによって、右上がりの字でタイトルが書かれている。
機動戦士ガンダム』、『聖闘士星矢』、『超時空要塞マクロス』……
死んだ圭一の兄のコレクションを、圭一が……正確には舞子が譲り受けたものだ。
「ほらよ、今日の収穫」
舞子が『ドラゴンボールZ』を取るためにいったん床にどかしたビデオテープ群の上に、圭一がパラパラと紙をまく。
ルーズリーフの切れ端、割りばしの袋、情報カード。紙の大きさもバラバラなら、筆跡もそれぞれ違う。
「なによ、わざわざばらまかないで、ゴミ箱に捨てればいいじゃない?なんの嫌がらせ」
どの紙にも、フルネームと電話番号、メールアドレス等が書かれている。
「よろしく!」とか「連絡ちょうだい」と添えられてある紙もある。
クラス替えをするたび、上の学校に進学するたび、圭一は大勢の同級生、上級生、下級生から舞子との関係を訊かれ、友達だと答えると、半数は疑い、半数は連絡先を渡してくれるよう頼んだ。
舞子は床に散らばった紙を忌々しそうに見つめた。
「くだらない。自分で連絡先も渡せないくせに。闘えないくせに。光らないくせに……。わたし、もう帰る」
「あっそ。じゃ、また明日」
圭一は片手を上げて、部屋から出て行く舞子をそっけなく見送った。


「光る奴がさ、これ、お前に渡してくれって。ま、闘えはしないけど、光るだけでじゅうぶん珍しいだろ」
舞子が大学の学食で、ひとり、ナポリタンを食べてると、圭一が横に来てにやにやしながら、名刺らしきものを渡してきた。
パソコンとプリンタさえあれば誰でも作れる、なんの絵柄もない、そっけない名刺。
『割りばしの袋よりはまだましか。そういう奴は、どこまで本気なんだか』
そう思いながら圭一から名刺を受け取った。その時点では、チラッと見て、口についたナポリタンを拭ったティッシュと一緒に捨てるつもりだった。
だけどその名刺を見ると、名前よりも大きく「俺、発光します!!」と書かれていた。
「どういうこと?」
「とにかく、お前の求めてた光る男が、俺の友だちにいたってわけ」


夜9時、圭一の部屋に、舞子と、それに圭一と同じ文化人類学を専攻している孝文がいた。
孝文は2階に上がる前に、わざわざ1階のリビングに顔を出し、圭一の両親に「夜分遅くすいません。実は明日までに提出しなければならない論文がありまして。それを3人で……」などど言い訳していた。
そんな孝文を見て舞子は、『情けない奴。今日はちょっと時間が遅いけど、それでもわたしなんて毎日のように勝手にこの家にいるのに』と思った。
「で、光るって? わたしをばかにしてんの?」
それぞれ離れた床に座り、沈黙が続いたあと、舞子が孝文に向かって言った。
「どうせ圭一から聞いたんでしょ。『舞子の好みは光る男だ』とかなんとか。比喩だってことがわからないの。それとも比喩として、あんたは光ってるってわけ?」
「おい!比喩なのかよ」
驚いた声をあげたのは、圭一だった。
「だったら、たくさんいるだろ。会おうと思えば会えるだろ。ミュージシャンだとか、画家だとか書道家だとか。なんだよ。お前のほうがくだらねぇ」
圭一は吐き捨てるように言った。
「会えない人だっている……」
舞子は下を向き、上目遣いに圭一を睨みながら唇を噛んだ。
細くてまっすぐの髪が、頬にかかった。


孝文が立ち上がり、「電気、消すけどいい?」、遠慮がちにどちらにともなく訊いた。
そして、返事を待たずに、ドアのそばにある電気のスイッチを押した。
無音の部屋に、カチリという音が響いた。
「あ!圭一、悪いけど、水槽の電気も消してくれる?」
勉強机の隣にある水槽の中で、テトラが3匹泳いでいる。電気の光を吸収し、暗いところで青く発光するテトラ。
兄から圭一に受け継がれたときは10匹だったテトラも、今ではたった3匹。その3匹の中にさえ、当時のテトラは1匹もいない。
3匹までに減ってからは、1匹死ぬたびに圭一がこっそりペットショップで買ってくるから、舞子はまさか当時のテトラが1匹も残っていないなんて知らない。
圭一が、水槽の電気を消した。
テトラが、うっすらと青く光っている。
その弱々しい光は、部屋を包み込む、やさしい色合いのピンク色でかき消された。
「え!?」
舞子が声をあげた。
はじめ、部屋全体が光っているのかと思ったけれど、光を発しているのは孝文の体だった。
孝文の体のまわりは濃いピンク。
遠くなるにつれ、薄いピンク。
膝を付いたまま手を伸ばし、孝文に近付く。
あと10センチで手が触れるというところで、部屋の明かりが付いた。
なんの変哲もない、蛍光灯のさめざめとした光で、部屋が覆われる。
「まぁ、そういうわけなんだよ、こいつ」
電気を付けたのは、圭一だった。
「光るだろ。こいつと付き合えば」


舞子はそれから、大学のすぐそばにある、孝文の住むワンルームアパートを毎晩訪れるようになった。
圭一の部屋にはしばらく行っていない。
深夜11時、電気を消して、光る孝文を、舞子はただじっと見つめている。
もう2時間もそうしている。
「ふつうに動いてていいから」
そう言われても孝文には、光る能力はあっても、暗闇の中で物がくっきり見える能力はなかった。
必然的に、ただ、座っているか、立っているか、夜食を食べているか。
BGMだけは、舞子が自分の家からCDを持ってきていた。
波の音とか、雨の音とか、そういったヒーリングミュージックをかけながら、孝文の放つピンク色の光を楽しむ。
「ねぇ、いつから光るようになったの?」
舞子にとって、いつからとか、なんでとか、そういったことはあまり気にならなかったけど、ピンクに光る孝文をほとんど会話もなしに立たせておくのも悪いので、そんな生活をするようになって2週間後に訊いてみた。
「笑わないでほしいんだけど……。実は、去年のクリスマス前に、街路樹に電飾を取り付けるアルバイトをしてからなんだ」
孝文は、舞子に包み隠さず事情を話した。
事情を話したのは、圭一の他には舞子が初めてだった。しかも、圭一に話したのよりも、事細かに話した。
クリスマス前にアルバイトをしたのは、初めて付き合った彼女にプレゼントを買うため。アルバイト先の会社は伯父さんの経営する会社。その後伯父さんに「光らないのか」と電話で訊いたら、「ばかか」と笑われた。
「それで? 彼女にもこの光、見せたの?」
舞子の手が、壁に寄りかかって座る孝文の体から5センチ離れた空中を、孝文の体の線をなぞるように動く。
孝文の呼吸が速いのは、舞子にも伝わる。
「見せたら逃げられた。クリスマスイブに、彼女とこの部屋にいて、こんなふうに電気を消したら、僕は光って、光った僕も、光る僕を見せられた彼女も、言葉を失って、それっきり」
「そのとき、気付いたんだね。自分が特別な人間だってことに」
舞子は正座したまま床に手を付き、孝文の体のまわりの光を見つめている。
それから、天井を見上げる。白いはずの天井まで、うっすらとピンク色に染まっている。白い天井と混ざり合って、イチゴミルクのような色をしている。
「わたし、イチゴミルクって、甘ったるくって嫌いなんだよね」
暗闇の中で、舞子は冷たい響きを持った声で言った。
「伯父さんは光らなくても、同じバイトしてた人の中に、黄色に光る人とかいないかな? ちょっと、他の光も見てみたい」


舞子は、圭一の部屋にいた。
「1ヶ月ぶりだな」
「学校で顔合わせてるじゃない」
「まぁ、そうだけど」
「今日こそ観ようかな『ドラゴンボールZ』」
舞子が、目当てのビデオの上に乗せてあるビデオを、容赦なくどかす。
1本のビデオテープの箱から、紙のようなものが落ちた。
「きれいにどかせよ。いつも片づけんの、俺なんだから」
「……」
「おい、舞子」
床に座り込み、肩を震わせている舞子のことを圭一が覗き込んできた。
舞子は1枚の写真を持っていた。
「これ……」
その写真には、舞子、圭一、それに圭一の兄が写っている。舞子と圭一が4、5歳、圭一が12歳くらいの頃の写真だ。
圭一の兄のまわりには、蛍光マジックで黄色い線がいくつも描かれている。
「わたしが書いた。これ、わたしが書いた……。光る人の近くにいても、わたしは光れないよ。明るい光の中で、わたしの顔立ちが好きだとか、そんな理由で寄ってくる人の隣じゃ、なおさら光れないよ」
泣き崩れる舞子の体に、圭一が何か巻き付けている。
「クリスマスツリー? ばかにしないでよ」
圭一が、部屋の電気を消した。
舞子に巻き付けられた電飾のスイッチが圭一の手によって入れられた。
赤、黄、青、緑……色とりどりの電飾が明滅している。
「孝文からのプレゼント。あと、伝言。『残念ながら、黄色に光る人は見つかりませんでした』だって」
舞子は、「かっこ悪いよ、これ。情けないよ」と言いながら、圭一に泣き顔を見られるのが恥ずかしくて、水槽のテトラをじっと見つめていた。